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【ペルソナ5 ロイヤル】ストーリー感想。3学期シナリオはP5でやるべきだったのか?(ネタバレあり)

この記事では「ペルソナ5 ザ ロイヤル」の1学期〜2学期までの感想、新たに追加された3学期シナリオの感想をそれぞれ語ります。

ネタバレなしのストーリー感想はこちらのレビュー記事で書いていますので気になる方はそちらも是非。

クリア時間:約80時間

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1学期〜2学期まで(無印ペルソナ5とほぼ同じ内容)


メッセージ性の強さ

「痛快ジュブナイル。」

ペルソナ5のテーマの1つであるこの言葉は作品全体(厳密にいえば二学期まで)において一貫して描かれていました。

昼は学生として、夜は怪盗団として、活動する。こんなことをどのようにゲームへ落とし込んでいくのか不思議でたまりませんでしたが、制作サイドはそれを工夫してストーリーを完成させており、序盤から終盤まで熱意を感じる作りであったことは間違いない。

そもそもクリアに最低でも70時間はかかるゲームで序盤から終盤まで飽きずにハマり続けられるものを作るのは至難の業。だからこそプレイ前の私は「クリアまで長いゲームだから、ストーリーにはあまり期待しない方がいいだろうな」なんて思っていたわけですが、むしろ製作サイドはそんな懸念点をちゃんと把握していたようです。

学生パートがあまり充実していない点を除けば、怪盗団として活動する彼らに魅力を感じたのは私だけでないだろうし、よくここまで学生と怪盗団を両立させるストーリーを完成させたなと初見プレイ時は驚きが止まりませんでした。

物語のキホンである起承転結をしっかりと描く上で、メインストーリーは怪盗団メンバーとの絆を描き、コープ(現実)では仲間たちがそれぞれ抱える悩みを主人公が解決する。特にメインストーリーだけでもボリューミーなのに、個々のストーリーがしっかりと用意されているのは世界観を深くする上で非常に良かったです。

欲を言えば学生パートは修学旅行をもっと面白いものにしてほしかったし、学園祭もプレイヤー側で操作させてほしかった。その分怪盗団パートに力が入っているのでまぁ仕方ないと妥協。

「クズな大人たちを改心させる?世直しという夢物語」

主人公のジョーカー率いる怪盗団は「世直し」をモットーに身近にいる悪人から有名人にまで「改心」をしようと手にかけていきます。

ハッキリ言いますが、ペルソナ5に出てくる大人たちはほとんどがクズです。救いようのないクズです。だからこそ大人たちに“反逆”する主人公たちには惹かれるものがありましたし、「悪いものは悪い」と再確認できたような気がしています。

しかし、怪盗団のやり方自体にはプレイヤーの全員が賛成できたというわけではないですよね。

確かに怪盗団は「世直し」のために悪い大人たちを成敗していきますが、次第に自分たちの価値を世に知らしめるためだけに活動するようになっていくので「君たちこそ改心されるべきでは?」と考えることは正直正解です。

ですがペルソナ5はそういったところにも間接的にアンサーを出しているので面白いんですよね。例えば、年齢が若く経験を積んでいないせいで行動が浅はかになっているからと言う理由づけ。そして怪盗団を引っ張ってきた竜司が自分の行いに反省し「俺が改心されるべきだったのかな」と言う発言をするシーンなどなど。

そもそもの話、現実では「改心」などはできずクズな大人はクズのまま、そして大人たちに反感を持つ高校生は何もできないパターンがほとんどです。ですがペルソナ5はそんなひどい現実に対して「もし、こうだったらな」というある意味の理想や思想を表してくれた作品なのではないでしょうか。

物語を始めると「これはフィクションである」と忠告してきますが、それはまさしくその通りで、あくまでも現実がこうだったらいいなということを叶えてくれるのがペルソナ5という夢物語(フィクション)なんだと私は感じました。おそらく制作サイドはそういうことを伝えたいがために最初の導入をしたのかなと思います。

現代社会を風刺するような民衆の意見」

本作のストーリーにおいて地味に大切、それでいて物語の核を支える要素として「民衆の意見(主に怪チャン)」が挙げられます。

これが本当に素晴らしかった。ゲームだからと言って美化することなく、実際今の現実でも発言されているであろう民衆の意見を「世直し」がテーマの本作にぶつけてきたのはいいスパイスとなっています。

例えば、作中何度も民衆の意見で起こる「手のひら返し」。大人や中高生などは怪盗団の行為に対して本気で応援しているというわけではなくて、「ただの娯楽」として楽しんでいるがために誰もが怪盗団に対して手のひら返しをします。怪盗団を叩いたり、逆に褒めたり。今あるインターネットでもこういうことは日常茶飯事。

特に本編で描かれる『批判する大人たちが「娯楽」としてニュースを見ているからこそ簡単に意見がコロコロと変わる』という点については確かに納得する部分がありましたし、意外な発想で驚かされました。

また上っ面だけで人を判断して物事を言う、現実でもありがちなことがペルソナ5でもしっかりと表現されていましたね。印象に残っているものといえば、モブの高校生が発言した「獅童さんにみんな投票してるから俺も投票しようかな」と言うセリフ。

責任感のない「とりあえずみんなに合わせればいいか」のような意見も現代社会の風刺に深く刺さったのではないかと思います。

竜司がストーリーを引っ張り、プレイヤーがジョーカーを彩る

RPGは基本的にキャラクターが増えれば増えるほど、設定が複雑になり伏線回収などが疎かになる傾向にあります。

こちらのペルソナ5も登場するキャラクターは多く、物語を進めれば進めるほど伏線が貼られていくので一歩間違えばストーリーが破綻してもおかしくはなかったかもしれません。

しかし本作は物語序盤からストーリーを引っ張ってくれる、とあるキャラクターがいたのでそんなことはありませんでした。

坂本竜司です。今思えばこの絶妙なイキリ感を持った竜司が怪盗団を引っ張って世界を救ったと言っても過言ではありません。

例えば、主人公や高巻杏が怪盗団活動に意味を見出せなくなってきたところに竜司が「みんなの期待に応えようぜ」の一点張りで怪盗団活動を継続させていたからこそ、序盤はプレイヤーであるジョーカー、ヒロインである杏、ストーリーを引っ張る竜司、気になる謎を持つモルガナというふうに役割分担して物語を成立させることができたんだと思うんです。

もしもジョーカーやモルガナがストーリーを引っ張る役だった場合だと性格的に違和感を感じますし、これから解決する謎が減るので物語の没入感が削がれていたかもしれません。

ちなみに他の感想記事では怪盗団のやり方について「“主人公たち“が勝手に決めた悪を滅ぼしているだけ」などの意見も見られますが、私としては決してそんなことはなく、あくまでも怪盗団を前へ前へと進ませているのは“竜司“で間違いないです。

確かに結果としては主人公たちが行動していることに変わりはありませんが、世間に何を言われようが、やり方に迷いが生まれようがほとんどブレずに意見が一貫していたのはいい意味でバカな竜司のみですよね(モルガナはまた個人の目的で行動していたため別)。

また物語が進めば新しい仲間が加わり、怪盗団はさらに個性的になっていきますが、この頃から主人公の影がどんどん薄くなるのではないかと懸念していました。先ほども言いましたが個性が強い彼らがそれぞれストーリー進行の役割分担をしているためです。

ですが全クリした今だとそんなことはないとハッキリ言えます。むしろジョーカーはプレイヤーが主人公として過ごせる最高のキャラクターでした。

プレイヤーが主人公として過ごせるというのは、具体的に言うと主観に近いようなプレイができるということです。例えば、去年発売された「ゼノブレイド3」だと仲間と共に行くべき道を決める、まさに全員が主人公という感じでプレイヤーはあくまでも観客という立場で物語を楽しみますが

ペルソナ5はキャラクターそれぞれに役割を持たされていて、そんな仲間を支えて1つにまとめるのはジョーカーであるプレイヤーです。ジョーカーは良くも悪くも個々としての魅力はルックスだけで(ファンの方は申し訳ありません)、そこに色付けしていくのはあくまでもプレイヤー。

だからこそプレイヤーはそんなジョーカーを操作することで第三者目線ではなく主観でプレイしているかのような体験を味わえ、長時間プレイしていても全く飽きることのない不思議な感覚を覚えたんだと思います。

怪盗団らしくトリックを活かした描写には感激

そして本作は要所で描かれる伏線をしっかりと回収した上で、どんでん返しの展開をしていたのが印象的です。

もっとも明智はキーパーソンですよね。序盤から謎の多い人物ですが、仲間になったり敵になったり、実は獅童の息子だったりと物語を二転三転させる重要なキャラクターでした。

彼はモルガナが言った「パンケーキ」という言葉に対して反応してしまい、それを伏線として、終盤で回収していく様には「ただの偶然じゃなかったのか!?おぉ繋がったぞ!!」とハイテンションになった記憶があります。

また、主人公が死んだように見せかけたトリックには明智だけでなくプレイヤー全員が「これバッドエンド引いたか?」と一度は騙されたorハラハラしたはずです。(まぁ実際バッドエンドを引くと本当に死んでしまうわけですが)

今思えば物語内で「認知上の人間」についてたくさん語られていたことから、死んだジョーカーも認知上の人間であることを疑うべきだったのですが、初見ではまさかここまで「認知上の人間」が重要だったとは思いもしませんでしたね。

あらゆるところにヒントが隠されているので物語を進めれば進めるほど本当に面白かったですし、よく作り込まれているなぁと感じました。

3学期

見出しの1つ目は3学期自体に対する不満、見出し2つ目はシナリオ自体の評価となります。

3学期シナリオを見終えて、率直に思った感想

ペルソナ5ってこんなテーマで描くゲームだったっけ?」

シナリオの考察を放棄するならば、3学期はペルソナ5にとっていらないものだと思いましたし、いわゆる蛇足となっているのではないかと。

あらゆる部分において、ペルソナ5本編“らしくない“ですよね。痛快シュブナイルを感じずらい展開、違う意味で歪んでいる丸喜のボスならぬ思想。本編と大きく違う切り口で物語を描いているために、私は「これはペルソナ6でやること」だとしか思えなかった。

それもそのはず。追加シナリオのディレクターは本編とは違う、伊東大輝さんが担当されているんです。個人的にはこの時点で「は?」が止まらないのですが、そうなってくると次はそのディレクターが自身の描きたいことをペルソナ5を利用して描いたのでは?と勘ぐってしまいませんか。

そこで伊藤氏が関わったペルソナ5 ロイヤルのインタビュー記事を見てみたところ、こんなことを言っていました。

伊藤氏「『P5』には『P5』で打ち出した考え方や思想みたいなものがありましたが,ある種それは『P5』単体で完結しています。それを継続する形で同じ考え方や思想を持ってくるのは違うのではないか。対抗する思想や別の考え方を描きたいというのは大枠にありました」

……は?(2回目)

どうして伊藤さんはP5のことをもっと尊重しなかったんでしょうか。ペルソナ5の完全版として制作したのがロイヤルのはずなのに、「継続する形で考え方や思想を持ってくるのは違う」という意見には賛同できません。

ペルソナ5の“完全版ですよ?例えるならスシローでお寿司のセットを頼んだら、店員が「寿司はなんか違うんだよな〜。魚とは反対の肉を出したいな!」と言って一部焼肉が入ったセットを出してくるようなものです。いや、私たちが欲しいのは寿司だから。肉なんて欲しくない。

というか、描きたいってなんですか?1学期と2学期のディレクターを担当した橋野さんの描き方を尊重せずに自分のやりたいことをやりたいなら、頼みこんでペルソナ6でやればよかったじゃないですか。どうもペルソナ5を利用しているようにしか見えません。

そもそもユーザーからしてみればペルソナ5が好きだから完全版を買うわけであって、ペルソナ5らしくないものを提供されたところで満足できるのかといえば私は違うと思います。

何より追加シナリオで1番やってはいけなかったのが、怪盗団のメンバーの成長を蔑ろにしたという点。

自分と向き合って解放する力がペルソナであるのに、過去と向き合いペルソナを解放した怪盗団のメンバーがあっさりと丸喜の幻想に惑わされていることに矛盾を感じるんです。皆さんは感じませんでしたかね……。まぁ100歩譲ってペルソナ解放だけではまだ過去に執念してしまうというのならわかります。

ですが、本編終盤のときペルソナ解放後に再び主人公に身を救われさらに成長した彼らが、またしても主人公に助けられなければ目が覚めないとなると、のちのち彼らが自分たちの口で言う「自分の幸せは自分で掴む」という発言の納得感が0なんです。自分たちでは何もできないことを自分たちで3度も証明しているのになんでそんなこと言えるんだ?と。

そういうことも含めて、伊藤氏の今回の描き方・やり方には頷けませんね。

丸喜の思想を通じてプレイヤに語りかけるシナリオ自体の評価

とはいえ、シナリオの内容自体は間違いなくいいと思います。何度も言いますが、このシナリオをペルソナ5でやらなければ良かっただけの話なんですよね。

私が思うに丸喜の思想(本音)は結局のところ、「嫌なことから逃げよう!挑戦とか挫折とかなんて人生にいらないんだから幸せになることだけを考えよう!」ということに落ち着くと思うのですが、まぁ実際のところ現実でもそうなんですよ。

私もこの記事を読んでくださっている方も全員、人間なら「楽をして生きていきたい」と思うのは普通のことですし、むしろそう思ってない人はほとんどいないと思います(例えば、勉強を頑張っている学生さんでも今は辛くとも将来は楽をして生きるためにやっていますよね?)。

でも辛く努力して勝ち取った時の喜びが欲しいから自ら苦しむわけです。こういうのは人間の面白いところですよね。

だからこそ丸喜の思想については100で否定することもできないし、逆に100で賛同することもできない。これはまさしく怪盗団も同じく思っていることだと物語から推測できます。

現にすみれ(旧かすみ)は丸喜のおかげでジョーカーと出会い変わることができたわけで、辛いことから逃げることの重要性にも物語内では触れています。

そしてここら辺で制作サイドはプレイヤーに丸喜の現実を許すのか、許さないのかを選択させてくるんです。もうこれは正直エグいですよ。

ぶっちゃけ真エンドを見たいなら許さないの一択ですが、怪盗団メンバーの今までの行動を見てきたプレイヤーにとっては「丸喜の現実でもいいのでは」と思わせる気持ちにさせるんですよね。だってそっちの方が幸せだから。私はこの選択に3分ぐらいかかりましたが、中には15分も選択に迷った方もいたそうですね。

迷った挙句、私は丸喜の現実を認めない真エンド√を辿ることにしました。同じく怪盗団は「そんな現実を認めない」と声をあげて戦うことになります。ここだけは世界を救い成長した彼らだからこそ言えた発言なのかなと思うんですね。おそらくプレイヤーの選択権がなくとも彼らは丸喜の現実を認めていないでしょう。

許さないという選択をした時のすみれは、いやぁよかったですね(キモ声)。いつもは冷静でかわいいすみれが現実を認めたくなくて、主人公に襲いかかってくるシーン。あれは筆者の性癖にグサっときた(キモすぎ)。

そこに追い打ちをかけるように丸喜が触手みたいなもので、すみれのペルソナを暴走させるんですよ。あぁこれがエ○いんだよなぁ……。

……すみませんでした。気を取り直しまして。

怪盗団メンバーが目を覚ますと、今度はかすみから卒業したすみれがペルソナを完全覚醒させて新メンバーとして加入することになり、明智は実は認知存在であったことが明かされて丸喜を倒したらいなくなることが発覚します。こんなことも含めて1ヶ月の間で色々なことが起こりますからシナリオの勢いも文句なしですね。

物語が二転三転するペルソナ5本編に譲らないほどの面白さ・奥深さが追加シナリオにはありました。何度も言いますがそれをペルソナ5でやらなければよかったんですけどね(2回目)

真エンディングの感想

ということで、丸喜を倒した後はバレンタインデーや新規イベントのホワイトデーを経たのち、真エンド√に辿り着くことができました。(ちなみにバレンタイデーはすみれと過ごしました)

……なのですが。

すっごくモヤモヤする終わり方でなんというかうまく感情移入することができなかったです。

というのも明智が生きていたり、すみれの対応だったり、丸喜がタクシー運転手をやっていたりと新キャラ(明智は違うが)に限って意味のわからない描写が複数回行われるので、これまた勘ぐってしまいます。

謎を解決するための完全版ですよね?さらに謎を増やす完全版とは…(困惑)

あまりにもモヤモヤしていたのでYouTubeで公開されているペルソナ5無印のエンディングを見たのですが、これは文句1つない素晴らしい結末でした。これぞ怪盗団!みたいな終わり方で本当にスッキリしています。なんというか初見で3学期√にいくんじゃなかったと少し後悔ですよ…。

ペルソナ無印は「怪盗団らしい終わり方」に対して、ロイヤルは「丸喜を倒しさらに成長した怪盗団がそれぞれの道に向かって切羽琢磨する終わり方」となっていて、それ自体は良かったです。

正直なところ、こんな終わり方をするのはあえてなのではないかと思っています。それは考察をしてもらうためではなく、おそらくロイヤルの続きを2016年に和田さんが作りたいと言っていた「P5U」にて描きたいからなのではないかと。

それにバッドエンドのように「END(意味:完全に終わる)」表記ではなく、わざわざ「Fin(意味:一部が終わる)」表記で締めている点からもその説が有力です。

というか私としては伏線回収のためではなく、ただ単純にペルソナ5ロイヤルの続編を作ってほしい!今プレイしているP5Sはもうすぐで終わりそうですし、まだまだ怪盗団メンバーと冒険したいです…。

ここまで見ていただきありがとうございました。参考になれば幸いです。