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モノリスソフトの歴史。〜ゼノブレイド3の発売までに至る軌跡〜

ゼノサーガゼノブレイドなど『ゼノ』シリーズを筆頭に作品を制作してきた、モノリスソフトは言うまでもなく日本の誇れるゲーム企業の一つです。

1999年の設立から、現在まで約20年間もの期間をゲーム制作に費やし、全てのゲーマーに新たな体験を提供し続ける姿勢からファンになった方も多くいると思います。

おそらく、ゲーマーならば一度はモノリスソフトのゲームを遊んだことがあるのではないでしょうか?それは日本だけでなく海外でも同様でしょう。

今回はそんなモノリスソフトにスポットを当て、一体どのような業績を残し、どのようなことが裏で起こっていたのかを解説していきます。

ゼノブレイドは知っていても、モノリスソフトは知らないという方には是非とも最後まで見てくださると嬉しいです。

それではどうぞ。

受け継がれる『ゼノ』の始まり。オリジナル作品を作りたい思いからスクウェア退社へ

出来事はスクウェアで起きた

時は遡り、1998年。キッカケはモノリスソフトの現取締役を担当している高橋哲也(以下略:高橋氏)から始まりました。

当時、スクウェアで働いていた高橋氏は名作「ファイナルファンタジー7」の企画段階にて、“とある企画書“を提出することにします。

しかし、その企画書の内容というのは、ファイナルファンタジーの物語としては非常に難解で、どれだけ良いプレゼンをしたとしても却下され続けていたそうです。

坂口博信

そんな中、スクウェアの副社長であった坂口博信はこの企画書に目をつけ、「FFとは別に作ってみないか」と高橋に提案。

もちろん高橋氏はその提案を承諾し、ゲーム開発を進めることになります。

そしてそんな提案から生まれた作品が、『ゼノ』シリーズの1番最初の作品にあたる「ゼノギアス」でした。

プレステーションにて発売された

この「ゼノギアス」は、重く難解なストーリー、独特な世界感が一部のゲーマーから人気を出し、国内で89万本、世界での累計は160万本という当時としては異例な売上を記録。

もちろん、それだけ売り上げれば、ファンから続編の期待をかけられるのは当然で、高橋氏は早速スクウェアへ「ゼノギアス2」の企画書を提出することにします。

しかし、ここでもまた大きな壁にぶち当たりました。なんと当時のスクウェアは続編制作の条件として「国内だけで100万本売れている」ことが挙げられ、

どれだけ根強い人気があっても国内100万本に到達していなかったゼノギアスは続編制作を断念せざるを得なかったのです。

それでもファンのために続編を作りたい高橋氏と企画を立ち上げることを徹底的に拒むスクウェア。両者の意見の食い違いは、日が経つにつれて酷くなっていき、ついに高橋氏はスクウェアの退社を決意。

時を同じくして、スクウェアの経営方針に疑問を持っていた杉浦博英と本根康之は、同じ意見を持っていた高橋氏と意気投合します。

左から杉浦氏、高橋氏、本根氏

これにより杉浦博英、高橋哲哉、本根康之らの3人は同時にスクウェアから退社することになり、“あの会社“を設立することになるのです

もちろんこの退社がのちのゲーム業界に多大なる影響を与えることは、誰も知る由がありませんでした。

モノリスソフトの設立

1999年10月。その時はやってきます。

退社した杉浦博英、高橋哲哉、本根康之らは「オリジナル作品を作りたい」という強い思いから、

モノリスソフトの社長である杉浦博英が31歳という年齢で、ナムコ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)からの出資を受けたのち、『モノリスソフト』を設立。

ただし、あくまでも設立の出資をしたのがナムコだったことから、モノリスソフトは“ナムコの子会社(ナムコグループ)“としてスタートすることになります。

設立当初は20名ほどの小さな会社だった上に、そのほとんどが新人だったため、「オリジナル作品を作る」以前に、ゲーム開発自体が不可能に近い状態でした。

しかしそんな中でも『ゼノ』の意思を受け継ぐため、3人を筆頭に次の『ゼノ』である「ゼノサーガ」の開発を徐々に進めていくことになります。

ゼノを受け継いだ裏腹に悪評だらけの「ゼノサーガ

時は流れて、2002年。ついにモノリスソフト初のソフト「ゼノサーガエピソード1」が全世界にて発売されました。

ゼノギアス」と直接つながっているわけではありませんでしたが、世界観はしっかりと受け継いでおり、ファンからは歓喜の声。発売ソフト一発目としては好調な出だしだったでしょう。

しかし、高橋氏がのちに語った会社の裏事情によれば、描写エンジンの完成が遅れに遅れ、発売半年前になってようやくゼノサーガの開発が出来るようになったんだとか。

また、社内は“休みなし“・“残業は当たり前“の環境になっていたことから、社員からの反発もかなり大きかったようです。

そのため、次作「ゼノサーガエピソード2」では、予算も期間も無理のないようにゲーム制作をする方向へシフトチェンジしましたが、

そのエピソード2はというとゲーム部分の出来があまりに悪くなってしまい、ファンからの『ゼノ』シリーズの信頼度を大幅に低下させたソフトになってしまいました。

満を持して、エピソード3が2006年に発売することになりましたが、エピソード2の悪評もあってか、売上本数は45万本(エピソード1)から18万本まで落ち込み、

高橋氏が目指していた「エピソード6までゼノサーガを作る」という目標を達成できずに完結を迎えることになります。

このように、エピソード1から3までゼノサーガは問題なく作れたとは到底言えず、さまざまな問題を抱え、最終的には「不評」で終わる形になってしまったのです。

これについては、高橋さんも「本当に悔しかった」とのちの岩田社長とのインタビューにて答えています。

ただ、悔しいという思いだけではなく、これを機に「次の『ゼノ』こそは絶対に成功させなくてはならない」という思いは会社全体として芽生えていました。

任天堂との出会い。プレステーションとの決別

もちろん、ゼノサーガ以外にも「バテンカイトス」など、『ゼノ』ではないソフトも順調に開発していたモノリスソフトでしたが、社長である杉浦氏はずっと「今後どうしていけばいいのだろう」と悩んでいました。

やはり、杉浦氏らは『ゼノ』を受け継ぐため、そしてオリジナルの作品を作るためにモノリスソフトを設立したのですから、「ゼノサーガ」の評判が悪かったことは高橋氏だけでなく杉浦氏にとっても相当なダメージだったのでしょう。

また、「バテンカイトス」に関しても予想されていた売り上げよりも売れずシリーズ化は叶いませんでした、

そんな中、当時任天堂の専務であった波多野信治は、偶然出会った杉浦氏へこうアドバイスしたそうです。

波多野信治

もっともっとインディペンデントな独立心のあるオリジナルの、業界のどこを見渡してもないゲームをとにかく作っていきなさい。

このアドバイスは当時の杉浦氏にとって、心の底にまで刺さる強烈な言葉でした。なぜなら、モノリスソフトを設立した時の「オリジナル作品を作りたい」という思想と全く同じだったからです。

このことがあって杉浦氏は「任天堂の傘下に加わりたい」という思いが溢れ、任天堂の子会社になることを決心します。それは実に2007年のことでした。

そうしてモノリスソフトは、ナムコグループから脱退し、任天堂の子会社になったのです。もちろん任天堂の子会社になってからは、モノリスソフトがプレステーションにゲームを出すことは無くなり、プレステとの完全なる決別を果たしました。

ただし当時は、任天堂モノリスソフトを買収したニュースに対して、多くのゲーマーは「銭失い」などと比喩することが多く、決してポジディブなことではなかったと言えます。

ちなみにですが、子会社になってからは自社のソフト開発だけでなく、任天堂から発売されている人気ソフトの部分受託も行うようになります。

初代ゼノブレイド発売までの苦労

こうして任天堂の傘下に加わった、モノリスソフトは「ゼノサーガ」で終わっていた『ゼノ』の意思を引き継ぐため、高橋氏を筆頭に着々と物語の構成を組んでいくようになります。

そして、ある日“とある企画“を任天堂に申し出たのです。

企画書に書かれてあったのは「巨大な生物の上に人が住む」という非常に斬新な構想でした。

当時はストーリーもゲーム性も決まっていなかったため、詳しいことを説明することはできなかったようですが、巨大な生物を舞台にした冒険は誰もが魅了されるだろうとして、任天堂の企画開発部であった山上仁志はその企画を悩みながらも了承。

こうして新作ゲームの開発を行うことになるのですが、またしてもモノリスソフトはここで大きな壁にぶつかってしまいます。

まず当時の主流ゲーム機であったWiiでは、新しい試みをやるために必要な性能が足りないこと。また、時間不足のせいで、ゼノサーガでの開発と同じように社員から反発をもらったり、クオリティーが低くなることも懸念されました。

そんな厳しい状況の中、提出した企画を了承してくれた山上仁志は再び救いの手を差し伸べます。

山上仁志

なんと山上氏は「ここまでつくったんだから、最後まで行きましょう。会社の説得はわたしがしますから。」といい、売れるどうかさえ分からない新作ゲームの“完全なる完成“を手助けしてくれたのです。

このことについて高橋氏はのちに「任天堂さんの納得できるまで最後までつくる、という姿勢に触れることができて、すごく驚きました。」とコメントしています(岩田社長とのインタビューにて)

そして、そんな苦労とたくさん協力の中でようやく出来上がった作品というのが、皆さんもご存知であろう『ゼノブレイド』だったのです。

Wiiにて発売

ゼノブレイドは、当時としては異例なグラフィックの綺麗さ、シームレスな戦闘、ストーリーのシリアスさが徐々に徐々に話題を呼び、ゼノギアスでは惜しくも届かなかった壁であった、国内での売り上げ本数100万本を達成する、110万本を売り上げる結果を出しました。

またこちらでは省略しますが、NEW3DS専用ソフトとしても移植され、60万本も売り上げました。一見すると少ないかと思われるかもしれませんが、普及台数の少ないNEW3DSでこの記録というのは110万本を売り上げるよりも大変なことです。

仮にですが、山上氏が任天堂に説得を試みなければ、ゼノブレイドゼノサーガと同じ道を歩んでいたでしょう。任天堂の子会社になったからこそ素晴らしい貢献をしたとも言えます。

ゼノブレイドクロス発売

WiiUにて発売

ゼノブレイドが爆発的ヒットをしたことで、Wiiの後継機であるWii Uでは2015年に「ゼノブレイドクロス」が発売されました。

ストーリーとゲームシステムのバランスを取っていた前作に対し、今作はストーリーよりもゲームシステムや自由度を重視したゲームになっており、目新しさが特徴になっています。

これまでとは全く異なる環境下での開発だったので、開発陣が思い描く「ゼノブレイドクロス」の実現にはとても時間がかかったようですが、ゼノブレの功績もあってか、更にたくさんの人が協力をし、クオリティーが飛躍的にUPしています。

世界累計では110万本を売り上げたものの、日本ではあまりWii Uは普及していなかったので、残念ながら知名度はそこまで上がりませんでしたが「隠れた名作ゲーム」として紹介されることが多い一作です。

ゼノブレイド2発売

Nintendo Switchにて発売

2017年は、「ゼノブレイド」の知名度を大幅に増加させた、「ゼノブレイド2」がNintendo Switchにて発売することになります。

このゼノブレイド2は今までのゼノブレイドでは考えられなかった、キャラのアニメ調で描かれる画風や、キャッチーな宣伝が引き金となり、本作がキッカケでゼノブレイドを知ったという人も少なくはありません。

また、世界累計約200万本もの本数を記録し、のちに日本ゲーム大賞にて“優秀賞”を獲得しています。直近だと、大乱闘スマッシュブラザーズに「ホムラ/ヒカリ」が参戦したことが話題になりました。

このようにさまざまな功績を挙げ、ゼノブレイド知名度を大幅に上げたゼノブレイド2ですが、実を言うと、ゲーム開発の裏側ではとても酷な状況になっていたんです。

というのも元々、当時のモノリスソフトの開発人数は100人弱と少ない環境での開発だったのですが、ゼルダの伝説Botwの開発を手伝うため、50〜60%は人が流れていたようで、社内でゼノブレイド2の開発に携わった人は実質40人もいなかったようです。

また、UIを担当していたプログラマー3人があまりの多忙さに倒れたりなど、スムーズにゲーム開発を行えているとは到底言い難い状態で、延期の可能性も十分ありました。

そんな苦労の中、ようやく完成し、満を持して発売されたのが「ゼノブレイド2」だったのです。

ゼノブレイドディフィニティブエディション発売

2020年には、Nintendo Switchにて待望の「初代ゼノブレイド」をリマスターした「ゼノブレイドディフィニティブエディション」が発売しました。

Wii版も3DS版も画質が低く、操作性もいまいちでしたが、リマスターをきっかけに不満点は全て改善されており、この作品からゼノブレイドを始める人も増えています。

本作は、ゼノブレイド2のDLCである「イーラ編」の開発が終わった2018年8月から開発されたので、実質たったの2年で「リマスター+追加ストーリー」を制作したことになります。

また、世界累計販売数は155万本と、初代ゼノブレイドを超える記録を叩き出しました。

ゼノブレイド3の発売が決定。モノリスソフトの歴史はまだまだ続く

ゼノブレイド3。2022年9月発売予定

そして、ここまでの軌跡を辿ったのちに、モノリスソフトゼノブレイド3を発売するまでに至ったのです。

本当に本当に長い道のりでした。もしも、波多野信治が杉浦氏にアドバイスをしていなかったら?山上仁志任天堂に説得をしていなかったら?そもそもゼノブレイド2が失敗に終わっていたら?

偶然に偶然が重なった結果がゼノブレイド3だと私は思います。だからこそ私は発売が決定した時は思わず涙を流しましたし、私と同じように泣いた方もきっと多くいるでしょう。

ゼノブレイド3は、2の開発当初から構想を考えていたそうで、ゼノブレイドシリーズの集大成になると高橋氏は公式サイトにて仰っています。

モノリスソフトがこれからどういったゲームを作るのかは明らかになっていませんが、これからもモノリスソフトらしいゲームで全てのゲーマーを魅了し、全世界で盛り上がることを切に願っています。

終わりに

いかがだったでしょうか?

今回は、ゼノブレイド3発売決定記念としてモノリスソフトの軌跡を、自分なりではありますがまとめてみました。

この記事をキッカケにモノリスソフトという素晴らしいゲーム企業を知っていただいたのであれば、これ以上嬉しいことはありません。

参考になれば幸いです。最後まで見ていただき、どうもありがとうございました。


参考文献

モノリスソフトHP:モノリスソフトの目指す未来

Wikipedia
ゼノブレイド
ゼノブレイド2
ゼノブレイドクロス
モノリスソフト

社長が訊く
ゼノブレイド開発スタッフ編
NEWニンテンドー3DS専用『ゼノブレイド』
ゼノブレイドクロス

電ファミニコゲーマー:「ゼノブレイド」高橋哲哉×「ペルソナ」橋野桂

任天堂トピックス:『ゼノブレイド3』2022年9月発売決定